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「聖霊の賜物」 使徒言行録10章44−48節
神、イエス・キリスト、聖霊の中で、聖霊は最もわかりにくい印象があります。しかし実は私たちが一番身近に経験することが可能なのが聖霊です。
今日の聖書は、異邦人、つまり外国人にも聖霊が注がれた箇所です。それまではペトロも含めユダヤ人は、神さまは自分たちイスラエルの神であり、その霊は自分たちユダヤ人にだけ注がれると思っていました。だから、一同は大いに驚いたのです。
47節のペトロの言葉から聖霊を受ける事の方が、洗礼を受けることより、優位にあることが分かります。普通は洗礼を受けた後、聖霊が注が...
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2011/07/28 13:55 |
「徴税人ザアカイ」 ルカによる福音書19章1−10節
今日は、教団「部落解放祈りの日」です。
ザアカイを取り上げてみました。ザアカイはどこか親しみを感じる人物です。
マルコ2:14には、イエスさまの弟子になった徴税人レビが登場じます。レビは収税所に座っていたとあるので、おそらく一般の徴税人、つまりしたっぱの存在だったと思われます。それに対してザアカイは、徴税人の頭であり、金持ちでした。しかし人々からは、7節にあるように差別されていたのです。
イエスさまはそんなザアカイに声をかけ、家に泊まると言われたのです。そこに居合わせた人々は驚き、そ...
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2011/07/28 13:51 |
「命のパン」ヨハネによる福音書6章34-40節
ヨハネによる福音書では、6章で大きな転機を迎えます。5千人の給食の奇跡、湖の上を歩く奇跡に続いて、イエスは自らを「命のパン」と言われます。
この「命のパン」発言は、大きな躓きとなります。これを機に、多くの弟子が去ったことが66節に記されています。私たちは聖餐式も知っています。しかしこの生前のイエスの弟子達は、まだ何も知らず、つまづいてしまったのも仕方ない面もあります。
今日の聖書の38節にはイエスが命のパンとして天から降って来たのは、御心を行う為であると記されています。そして39節...
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2011/05/29 19:23 |
おわび
長い間、ブログをお休みしってしまい、すみません。m(_ _)m
もう、5月も終わりですね。ということは、5ヶ月ぶりの更新です。
管理人が、 「 うつ」でくたばっていました。(^^;
少し元気になりました。ご心配いただいた方々、ありがとうございました。
これからさき、まだどうなるかわかりませんが、
ブログに、せめて説教要旨だけでも、載せていきたいと思っています。
教会の様子も、ぼちぼちお伝えできればとも考えています。
これからもよろしくお願いします。(^-^)
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2011/05/29 19:15 |
「日々新たにされて」 コリントの信徒への手紙二4:16−18
新年おめでとうございます。年が改まると思いも新たにされます。この時、永遠という時間に思いを馳せ、そこから今を見つめ直したいと思います。
パウロの時代にはワープロがありませんので、書いた文章を後で順番を変えるということはできませんでした。今日の聖書のところは18節、17節、16節と後ろから読む方がパウロの思いを掴みやすいと思います。
18節の「見えるもの」は地上のものであり、「見えないもの」とは天上のものです。天上を意識して生きる信仰者であることをまず述べます。
続いて17節で、だか...
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2011/01/10 21:26 |
「闇の中の光」 イザヤ書9章1〜6節
今年も冬至まで10日ほどとなりました。夜の時間が長くなるこの時期、もう一度「暗闇」について黙想しました。「お先真っ暗」という言葉があるように「暗闇」というのは前へ進もうとするときに感じるものかも知れません。そんなとき、たとえ小さくともかすかでも光が見えれば、人は生きていけるのかも知れません。
今日の聖書はヒゼキヤ王の即位の祝辞と言われています。アハズが神にたよらず、アッシリアに助けを求めたため、シリアと北王国イスラエルは壊滅的な打撃を受け、南王国ユダもアッシリアの支配下におかれました。
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2010/12/24 14:54 |
「新しい心」 エゼキエル書18:30〜32
「お前たちが犯したあらゆる背きを投げ捨てて、
新しい心と新しい霊を造りだせ。」と言われます。
人が、自らの人生を真剣に顧み、自らの過ちを知り、
悔い改め、神に立ち帰ろうとする時、そこに、神の力が働いて、
その神の力によって人間の内面が変革されるのであります。
「新しい心、新しい霊」というのは、人が悔い改めをなし
神へ立ち帰るという意志を持ち、そしてそこに神の働きかけが
なされる時に造り出されるのです。また、神さまは、誰一人として
滅びること、死ぬことを喜ばれない方です。人間を救...
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2010/10/30 11:22 |